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野積にあった二つの銅山の名前は、何というのでしょうか。
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北国浜街道に面した山田は、どのような集落だったのでしょうか。
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以前、上荒町から松沢町にかけての海岸は、何と呼ばれていたのでしょうか。
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郷本の「七ツ石」という地名は、何から名付けられたのでしょうか。
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戊辰戦争の時、寺泊の沖合で行われた戦いは、何と呼ばれているのでしょうか。
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寺泊沖海戦では、何人の死傷者が出たのでしょうか。
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汐見台にある旧寺泊民族資料館には、寺泊沖海戦で沈没した順動丸の
遺品がありますが、その中で2本の大きな鉄の棒は、何というのでしょうか。
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本間屋数衛門の後、江戸時代後半に、大河津分水路工事を幕府に
願い出た人は、だれでしょうか。
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野積橋の下を流れる大河津分水路は、人が掘った人工の川です。
何のために川を掘ったのでしょうか。
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大河津分水路の工事は2回に分けて行われましたが、第一次工事は、
いつ始まったのでしょうか。
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大河津分水路の工事の第二次工事は、いつ始まったのでしょうか。
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大河津分水路の第二次工事で働いた人の数は、のべ何人でしょうか。
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大河津分水路の第二次工事にかかったお金は、当時のお金でいくらでしょうか。
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大河津分水路の長さは、どのくらいでしょうか。
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昔の寺泊の海は岩だらけの磯でした。それが90年位の間に砂浜が
延びて広がりました。それはなぜでしょうか。
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野積では広大な砂丘地を水田に改成しましたが、どの位の面積があるのでしょうか。
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分水路に水が流れると海からたくさんの魚が上るようになりましたが、
秋に上がる魚は何でしょうか。
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大河津分水路工事の時、その土砂をかさ上げしてできた標高約60メートルの
丘に二百尺という集落がありますが、その集落の現在の名前は、
何というのでしょうか。
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今、大河津分水路にかけられている野積橋は、昭和42年(1967)に造られた
2代目の橋ですが、初代の橋はいつかけられたのでしょうか。
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昔、本山地区にあった大きい潟の名前は、何というのでしょうか。
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円上寺潟は、いつごろ埋め立てられたのでしょうか。
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大河津地区に無くなった大きな溜池が二つありましたが、何という溜池でしょうか。
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蛇塚と本山を結ぶ道路の脇に、周りより少し高い丘があり、その上には工場や
畑があります。これは、どのようにしてできた丘でしょうか。
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本山から蛇塚にいく途中に立っている石碑は、何というのでしょうか。
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円上寺から磯町へ流れ出る新島埼川は、通称「何川」というのでしょうか。
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昭和36年(1961)8月5日に新潟県内は大雨となり、寺泊でも大きな被害が
発生しましたが、この災害を何水害というのでしょうか。
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昭和36年(1961)8月5日の水害に続き、9月6日に寺泊は台風におそわれ、
再び大きな被害が発生しましたが、これを何台風というのでしょうか。
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昭和39年(1964)6月16日に、新潟地震が発生しました。この時、寺泊では
津波による被害があったのでしょうか、なかったのでしょうか。
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郷本川は、明治6年(1873)に完成した人が造った川です。
何のために造ったのでしょうか。
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