歴史 1

歴史 2

史跡、民話

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歴史 2

L31

 野積(のづみ)にあった二つの銅山(どうざん)の名前(なまえ)は、何(なん)というのでしょうか。

L32

 北国浜街道(ほっこくはまかいどう)に面(めん)した山田(やまだ)は、どのような集落(しゅうらく)だったのでしょうか。

L33

 以前(いぜん)、上荒町(かみあらまち)から松沢町(まつざわちょう)にかけての海岸(かいがん)は、何と呼(よ)ばれていたのでしょうか。

L34

 郷本(ごうもと)の「七ツ石(ななついし)」という地名(ちめい)は、何から名付(なづ)けられたのでしょうか。

L35

 戊辰戦争(ぼしんせんそう)の時(とき)、寺泊の沖合(おきあい)で行(おこな)われた戦(たたか)いは、何と呼ばれているのでしょうか。

L36

 寺泊沖海戦(てらどまりおきかいせん)では、何人(なんにん)の死傷者(ししょうしゃ)が出(で)たのでしょうか。

L37

 汐見台(しおみだい)にある旧寺泊民族資料館(きゅうてらどまりみんぞくしりょうかん)には、寺泊沖海戦(てらどまりおきかいせん)で沈没(ちんぼつ)した順動(じゅんどうまる)丸の
 遺品(いひん)がありますが、その中で2本の大きな鉄(てつ)の棒(ぼう)は、何というのでしょうか。

L38

 本間屋数衛門(ほんまやかずえもん)の後(あと)、江戸時代後半(えどじだいこうはん)に、大河津分水路工事(おおこうづぶんすいろこうじ)を幕府(ばくふ)に
 願(ねが)い出(で)た人は、だれでしょうか。

L39

 野積(のづみばし)橋の下を流(なが)れる大河津分水路(おおこうづぶんすいろ)は、人が掘(ほ)った人工(じんこう)の川です。
 何のために川を掘ったのでしょうか。

L40

 大河津分水路(おおこうづぶんすいろ)の工事(こうじ)は2回(かい)に分(わ)けて行(おこな)われましたが、第一次工事(だいいちじこうじ)は、
 いつ始(はじ)まったのでしょうか。

L41

 大河津分水路(おおこうづぶんすいろ)の工事の第二次工(だいにじこうじ)事は、いつ始まったのでしょうか。

L42

 大河津分水路の第二次工事で働(はたら)いた人の数(かず)は、のべ何人(なんにん)でしょうか。

L43

 大河津分水路の第二次工事にかかったお金(かね)は、当時(とうじ)のお金でいくらでしょうか。

L44

 大河津分水路の長(なが)さは、どのくらいでしょうか。

L45

 昔(むかし)の寺泊の海(うみ)は岩(いわ)だらけの磯(いそ)でした。それが90年位(ねんくらい)の間(あいだ)に砂浜(すなはま)が
 延(の)びて広(ひろ)がりました。それはなぜでしょうか。

L46

 野積(のづみ)では広大(こうだい)な砂丘地(さきゅうち)を水田(すいでん)に改成(かいせい)しましたが、どの位(くらい)の面積(めんせき)があるのでしょうか。

L47

 分水(ぶんすいろ)路に水が流(なが)れると海(うみ)からたくさんの魚(さかな)が上るようになりましたが、
 秋(あき)に上がる魚(さかな)は何でしょうか。

L48

 大河津分水路工(おおこうづぶんすいろこうじ)事の時、その土砂(どしゃ)をかさ上げしてできた標高約(ひょうこうやく)60メートルの
 丘(おか)に二百尺(にひゃくしゃく)という集落(しゅうらく)がありますが、その集落の現在(げんざい)の名前(なまえ)は、
 何というのでしょうか。

L49

 今、大河津分水路(いま、おおこうづぶんすいろ)にかけられている野積橋(のづみばし)は、昭和(しょうわ)42年(1967)に造(つく)られた
 2代目の橋(はし)ですが、初代(しょだい)の橋はいつかけられたのでしょうか。

L50

 昔、本山地区(むかし、もとやまちく)にあった大きい潟(かた)の名前(なまえ)は、何というのでしょうか。

L51

 円上寺潟(えんんじょうじがた)は、いつごろ埋(う)め立てられたのでしょうか。

L52

 大河津地区(おおこうづちく)に無(な)くなった大きな溜池(ためいけ)が二つありましたが、何という溜池でしょうか。

L53

 蛇塚(へびつか)と本(もとやま)山を結(むす)ぶ道路(どうろ)の脇(わき)に、周(まわ)りより少(すこ)し高(たか)い丘(おか)があり、その上には工場(こうじょう)や
 畑(はたけ)があります。これは、どのようにしてできた丘でしょうか。

L54

 本山から蛇塚にいく途中(とちゅう)に立っている石碑(せきひ)は、何というのでしょうか。

L55

 円上寺(えんじょうじ)から磯町(いそまち)へ流(なが)れ出る新島埼川(しんしまざきがわ)は、通称(つうしょう)「何川(なにがわ)」というのでしょうか。

L56

 昭和(しょうわ)36年(1961)8月5日に新潟県内(にいがたけんない)は大雨(おおあめ)となり、寺泊でも大きな被害(ひがい)が
 発生(はっせい)しましたが、この災害を何水害(なにすいがい)というのでしょうか。

L57

 昭和36年(1961)8月5日の水害に続き、9月6日に寺泊は台風(たいふう)におそわれ、
 再(ふたた)び大きな被害が発生しましたが、これを何台風(なにたいふう)というのでしょうか。

L58

 昭和39年(1964)6月16日に、新潟地震(にいがたじしん)が発生しました。この時、寺泊では
 津波(つなみ)による被害(ひあい)があったのでしょうか、なかったのでしょうか。

L59

 郷本川(ごうもとがわ)は、明治(めいじ)6年(1873)に完成(かんせい)した人が造(つく)った川です。
 何のために造ったのでしょうか。