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 大河津分水工事(おおこうづぶんすいこうじ)の時(とき)、土砂(どしゃ)をかさ上(あ)げしてできた標高約(ひょうこうやく)60メートル
 の丘(おか)に二百尺(にひゃくしゃく)という集落(しゅうらく)がありました。
 その集落の現在(げんざい)の名前(なまえ)は、何(なん)というのでしょうか。

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    「 野積茅ヶ原(のづみちがや) 」

 野積茅ヶ原集落は、明治(めいじ)42年(1909)に再開(さいかい)された
 大河津分水路第二次工事(だいにじこうじ)の時(とき)、分水工事の区域内(くいきない)にあったことから、
 移転(いてん)を余儀(よぎ)なくされました。このため、分水工事で掘削(くっさく)した土砂を捨土(すてど)して
 小高(こだか)く伸(の)びた場所(ばしょ)に集落を造(つく)りました。

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