歴史 1

歴史 2

史跡、民話

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歴史 1

L01

 京ケ入(きょうがいり)の殿林(とのばやし)という畑(はたけ)から土器(どき)や石器が出土していますが、
 いつの時代(じだい)の遺跡(いせき)でしょうか。

L02

 戸崎(とざき)の神明神社(しんめいじんじゃ)の境内(けいだい)から土器(どき)が出土(しゅつど)していますが、
 いつの時代(じだい)の遺跡(いせき)でしょうか。

L03

 昭和(しょうわ)30年(1955)、本山(もとやま)を流(なが)れる新島埼川(しんしまざきがわ)の舞台島橋(ぶたいじまばし)の架(か)け替(か)え工事(こうじ)の時(とき)
 川底(かわぞこ)から土器(どき)が発見(はっけん)されました。いつの時代(じだい)の土器でしょうか。

L04

 大地(おおじ)の中使面(ちゅうじめん)という水田(すいでん)から土器(どき)が出土(しゅつど)していますが
 いつの時代(じだい)の遺跡(いせき)でしょうか。

L05

 郷本七ツ石(ごうもと ななついし)の畑(はたけ)から土器(どき)が出土(しゅつど)していますが、いつの時代(じだい)の何(なん)という
 土器(どき)でしょうか。

L06

 明ヶ谷(みょうがたに)の金屑(かなくず)というところから鉄(てつ)のクズが出土(しゅつど)していますが、何(なん)の遺跡(いせき)でしょうか。

L07

 寺泊の沖合約(おきあいやく)10キロメートルのタラバから、漁師(りょうし)の網(あみ)にかかってたくさんの
 土器(どき)や陶器(とうき)が引き上げ(ひきあげ)られています。
 なぜ、海(うみ)から土器(どき)や陶器(とうき)があがるのでしょうか。

L08

 今(いま)、私たちが住(す)んでいる「寺泊」は、いつの時代(じだい)から「寺泊」と呼(よ)ばれる
 ようになったのでしょうか。

L09

 順徳上皇(じゅんとくじょうこう)が船出(ふなで)をした所(ところ)は、何(なん)と呼(よ)ばれているのでしょうか。

L10

 順徳上皇(じゅんとくじょうこう)が佐渡(さど)へ流(なが)される前(まえ)に贈(おく)った御所桜(ごしょざくら)は、どこにあるのでしょうか。

L11

 女真人(じょしんじん)が漂着(ひょうちゃく)した所(ところ)は、何(なん)と呼(よ)ばれているのでしょか。

L12

 寺泊小学校の裏(うら)にある赤坂山(あかさかやま)には、昔何(むかし なに)があったのでしょうか。

L13

 郷本(ごうもと)にある山城(やまじろ)(伊奈胡城(いなこじょう))の城主(じょうしゅ)(城(しろ)の持ち主(もちぬし))は、だれでしょうか。

L14

 世界遺産(せかいいさん)となった佐渡金銀山(さどきんぎんざん)の一つ、鶴子銀山(つるしぎんざん)(佐渡市佐和田地区(さどしさわだちく))を
 発見(はっけん)した寺泊の人は、だれでしょうか。

L15

 江戸時代(えどじだい)に無宿人(むしゅくにん)(住(す)む家(いえ)のない人)が佐渡金山(さどきんざん)へ送(おく)られましたが、
 寺泊港(てらどまりこう)から何人送(なんにんおく)られたのでしょうか。

L16

 正徳(しょうとく)2年(1712)に初君歌碑建立(はつきみかひこんりゅう)の発起(ほっきにん)人になった女性(じょせい)は、だれでしょうか。

L17

 江戸時代(えどじだい)に越後(えちご)の百科事典(ひゃっかじてん)「越後名寄(えちごなよせ)」をあらわした人は、だれでしょうか。

L18

 江戸時代(えどじだい)の後半(こうはん)に照明寺(しょうみょうじ)の密蔵院(みつぞういん)などにすんで、多(おお)くの詩歌(しいか)や書(しょ)を
 遺(のこ)した人は、だれでしょうか。

L19

 良寛(りょうかん)さんが修行(しゅぎょう)を終(お)え、越後(えちご)に帰(かえ)ってきて初(はじ)めて住(す)んだ所(ところ)は、どこでしょうか。

L20

 良寛(りょうかん)さんは、照明寺(しょうみょうじ)の密蔵院(みつぞういん)に何回(なんかい)、住んだのでしょうか。

L21

 照明寺境内(しょうみょうじけいだい)に良寛さんの詩歌碑(しいかひ)は、何基(なんき)あるのでしょうか。

L22

 良寛さんの妹(いもうと)むらの墓(はか)は、どこのお寺(てら)の墓地(ぼち)にあるのでしょうか。

L23

 良寛さんの先生(せんせい)は、だれでしょうか。

L24

 当新田(とうしんでん)の元万福寺裏山(もとまんぷくじうらやま)の墓地(ぼち)にある良寛さんの師(し)の墓(はか)は、だれの墓でしょうか。

L25

 良寛さんと親交(しんこう)のあった歌人(かんじん)の小林一枝(こばやしかずえ)は、どこの人でしょうか。

L26

 病気(びょうき)がちな良寛さんを診察(しんさつ)した寺泊のお医者(いしゃ)さんは、だれでしょうか。

L27

 野積(のづみ)の立岩(たていわ)の前(まえ)に「越(こし)のうみ野積(のづみ)の浦(うら)の海苔(のり)を得(え)ばわけてたまはれ今(いか)ならずとも」
 という石碑(せきひ)がありますが、この歌(うた)をよんだ人は、だれでしょうか。

L28

 良寛さんが亡(な)くなったのは、いつでしょうか。

L29

 江戸時代越後国(えどじだいえちごのくに)の二大奇書(にだいきしょ)「北越奇談(ほくえつきだん)」の著者(ちょしゃ)は、だれでしょうか。

L30

 燕市(つばめし)の長善館(ちょうぜんかん)を創設(そうせつ)した鈴木文台(すずきぶんだい)が、長善館を開(ひら)く前(まえ)に上田町(うえだまち)で開いていた
 塾(じゅく)は、何という名前(なまえ)でしょうか。