L50
昔
(
むかし
)
、
本山地区
(
もとやまちく
)
にあった
大
(
おお
)
きい
潟
(
かた
)
の
名前
(
なまえ
)
は、
何
(
なん
)
というのでしょうか。
.
「
円上寺潟
(
えんじょうじがた
)
」
円上寺潟は、
江戸時代初期
(
えどじだいしょき
)
には500ヘクタールの
広
(
ひろ
)
さがありました。
江戸時代の
後半
(
こうはん
)
に円上寺潟を
埋
(
う
)
め
立
(
た
)
てて
新田開発
(
しんでんかいはつ
)
をする
計画
(
けいかく
)
が
立
(
た
)
てられ、
燕市渡部
(
つばめしわたべ
)
の
牛ヶ首
(
うしがくび
)
から
野積須走浜
(
のづみすばしりはま
)
(現
在
(
げんざい
)
の
大河津分水河口
(
おおこうづぶんすいかこう
)
)まで、
間歩
(
まぶ
)
(トンネルのこと)を
掘
(
ほ
)
って
潟
(
かた
)
の
水
(
みず
)
を
排水
(
はいすい
)
し、
埋
(
う
)
め
立
(
た
)
て
新田開発
(
しんでんかいはつ
)
を
行
(
おこな
)
いました。
円上寺潟
(
えんじょうじがた
)
は
新田開発
(
しんでんかいはつ
)
などで
埋
(
う
)
め
立
(
た
)
てられたため、
明治時代
(
めいじじだい
)
の
中頃
(
なかごろ
)
には30ヘクタールほどになっています。
.
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