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 昔(むかし)、本山地区(もとやまちく)にあった大(おお)きい潟(かた)の名前(なまえ)は、何(なん)というのでしょうか。

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     「 円上寺潟(えんじょうじがた) 」

 円上寺潟は、江戸時代初期(えどじだいしょき)には500ヘクタールの広(ひろ)さがありました。
 江戸時代の後半(こうはん)に円上寺潟を埋(う)め立(た)てて新田開発(しんでんかいはつ)をする計画(けいかく)が立(た)てられ、
 燕市渡部(つばめしわたべ)の牛ヶ首(うしがくび)から野積須走浜(のづみすばしりはま)(現在(げんざい)の大河津分水河口(おおこうづぶんすいかこう))まで、
 間歩(まぶ)(トンネルのこと)を掘(ほ)って潟(かた)の水(みず)を排水(はいすい)し、埋(う)め立(た)て新田開発(しんでんかいはつ)を
 行(おこな)いました。円上寺潟(えんじょうじがた)は新田開発(しんでんかいはつ)などで埋(う)め立(た)てられたため、明治時代(めいじじだい)の
 中頃(なかごろ)には30ヘクタールほどになっています。

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