街道(かいどう)や航路(こうろ)が交差(こうさ)する重要(じゅうよう)な地(ち)、寺泊(てらどまり)

 寺泊の湊(みなと)は鎌倉時代(かまくらじだい)以前(いぜん)より佐渡(さど)への公津(こうつ)(公(おおやけ)に定(さだ)められた湊)でした。
 慶長(けいちょう)6年(1601)佐渡は幕府(ばくふ)直轄地(ちょっかつち)となり寺泊は佐渡航路の重要な拠点(きょてん)となりました。
 江戸(えど)時代初(はじ)めから諸役御免(しょやくごめん)の町(まち)となり租税(そぜい)が免除(めんじょ)され経済的(けいざいてき)に発展(はってん)する基盤(きばん)が作(つく)られました。
 江戸からは中山道(なかせんどう)を経由(けいゆ)して北国街道(ほっこくかいどう)・三国街道(みくにかいどう)、京都(きょうと)からは北陸道(ほくりくどう)とつながる交差地でした。
 三国街道終点(しゅうてん)の地であり、江戸からの道筋(みちすじ)では六日町(むいかまち)から大川津(おおかわづ)まで信濃川(しなのがわ)を船(ふね)で下(くだ)り寺泊
 まで最短(さいたん)7日で到着(とうちゃく)することができました。
 正徳(しょうとく)2年(1712)以降(いこう)、佐渡奉行(さどぶぎょう)赴任(ふにん)の湊となりました。
 江戸時代を通(つう)じて西廻(にしまわ)り航路(日本海側(にほんがわ)の航路)を往来(おうらい)していた北前船(きたまえぶね)の寄港地(きこうち)で越後米等(えちごまいとう)を
 積(つ)み出(だ)する拠点(きょてん)の一つでした。
 多(おお)くの物資(ぶっし)が集(あつ)まるこの湊町は、宿場町(しゅくばまち)としても栄(さか)えました。
 また佐渡への流刑者(るけいしゃ)の渡海(とかい)する湊でもありました。