N09

 聚感園(しゅうかんえん)にある井戸(いど)は、だれが掘(ほ)ったのでしょうか。

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    「 弁慶(べんけい) 」
 
 弁慶【?~文治(ぶんじ)5年(1189)】は源義経(みなもとのよしつね)の従者(じゅうしゃ)(家来(けらい))です。
 文治3年(1187)に義経・弁慶らが奥州平泉(おうしゅうひらいずみ)(岩手県(いわてけん))に向(む)かう時、
 乗(の)っていた船(ふね)が難破(なんぱ)して寺泊に漂着(ひょうちゃく)し、しばらくの間、五十嵐家(いからしけ)に滞在(たいざい)しました。
 井戸は、この時弁慶が義経の手洗(てあら)いや洗顔(せんがん)のために掘(ほ)ったと伝(つた)えられ、
 「弁慶手掘(てぼ)りの井戸」と呼(よ)ばれています。

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